人の口から、
「あの人は、味方が居ない人だね」と言う表現を聞いた。
衝撃的な表現だと思った。
味方の居ない人なんて、いないと思っていたし、今だってそう思っているから。
『味方』と言う存在は、とても大事です。
居てくれると心強いし、やりたいことがスムーズに進んだりします。
自分が属するコミュニティーにて、『味方』を作れないことは、その人が何か欠落している部分があるのかしら。
…うむ、そういう時もあるかもな。
わたしの周りに居る「味方が居ない人」と言われたも、ちょっと…いやかなり強めのクセを持つ人です。
わたしも、よく、その方にはイライラしてしまう。苦笑
でもなぁ、
変な話をすれば、味方とか敵とかライバルとか恋人とか、自分をつなぐすべての関係は、偶然が産んだものとも思えるんだな。
(運命を感じた時は、『必然』と言ったりもするけど)
「あの人には味方が居ないよね」と言う人達ひとつにしても、
受け手側がストレスと感じない人達だったり、このくらい許せるわぁと思える人達だとしたら、『味方』になれていたかもしれない。
こんな感じで、
「味方が居ない人」の日頃の行いに加えて、(コミュニティー内での相性が悪かった等)数え切れないほどの要因も、絡みに絡んで行った上での事なんだろうなぁ。
一概には、何が悪いって言えないのかもしれない。
でもまぁ、
日ごろの行いは、自分で軌道修正出来るから。
こればかりは、やっぱ、ちゃんとやらんとしゃーない。
自分のしてきたことの始末っていうものは、自分でしなきゃならんものなんです。
(えらそうな事、言ってしもうたが)
そんな中、やっぱりこれだけは思えるって事があって、どんなに嫌やなって思う人でも、誰かにとっては大事な人なんです。
愛されている人なんです。
だから、むげに扱ってはいけない。
きれい事に聞こえるかもしれんけど、本間にそうなんやよなァ。
なかなか難しかったりする、割り切れないときもある。
わたしかて「えぇ大人が、何ぬかしとんねーん!」と、シバいてやりたくなる時も、しょっちゅう…。笑
それでも、頭の隅には「あんな事するひとでも、誰かの大切な人だ」と置いておかなきゃ。
同情でも、過剰なポジティブ思考でも、諦めでもなくて、それは事実だから。
こちらが理性を失うべきではない。
そして、出来ることなら、少しだけでも愛を持って接してあげられればと思う。
そして、
こんな事を考える度頭に浮かぶ、私にとっての『味方』で居てくれる人達。
わたしは、親切にしてくれるこの人達の存在が、たまに不思議に思えます。
何で、こんなに優しくしてくれたり、一緒に居てくれるのかな~って。
でも、それもまた一つの事実(やと思おう!)。
近くに居てくれる人は、わたしを気にかけてくれる人ばかり。
人のことを気にかけるって、日々を暮らしていく上で、なかなか出来ないよ。
そんな中、気にかけてくれたはるんやから、ありがたいよなぁ。
不快なものよりも、こういう、嬉しい事に目を向けられるような人になろう!
PR