煩わしく思うくらいなら、そんなに嫌なら、やらなきゃいいじゃねーか。
後でフラストレーション爆発されたって、こっちに非があるとか、言われたってさぁ。
なにそれって、感じやん。
言葉という言葉、全部をオブラートに包んでいかなきゃならんのか?
家族間のコミュニケーション、面倒くさい。
人と一緒に住むって、面倒くさい。
実家が大好きって訳じゃない。
人間が5人も居たら、色々ある。
嫌なら、出りゃあいいだけの話なんやけどな。
エゴとか、甘えが、全面的に出ておるなあ。今は。
一緒に住んでるのに、顔合わせたくないとか、部屋から出たくないとか、思春期みたいだぜ。
わたしは、『反抗期』に、親に反抗っぽいことが出来なかった(全部内にため込んでた)から、親とか妹弟に対して、健全じゃない部分がある。
きっと、家族に対して『ひねくれてる』。
まあ、大きくなって、人の話聞いてたりして、人生は、ちっちゃな失敗重ねて、そっから勉強してナンボかなあと思うようになって、ちょっと救われた。
家族意外の人に、愛情を求めたとき、「これって、付け焼き刃の愛情なのかもしれないな~」と感じることがある。
ひねくれてるけれど、たぶん(いやきっと)わたしが欲しているのは、家族からの愛情なんだなあ。
だから、家族と上手く関係を持てている人には、嫉妬にも似た憧れを感じる。
そう言う人、眩いです。
泣きそうになるくらいに、その素直さが羨ましい。
わたしが、欲しいけれど、「欲しい」と言える覚悟が無いものだから。
そんな感情に気付いて初めて、家族って、切っても切れない関係なんだなあと思う。
素直になるべき人達の前で、ちゃんと素直になりたい。
素直になれた暁には、優しきマザーになるのが夢よ。
ちょっと話飛んじゃったけど。
珍しく、少し真面目な話でした。
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