自分が本間にやりたいと感じた事があっても、うまくいかないかも…とネガティヴになったり、また世間体やら金銭面やら体力的な面やらと、アタマの中でぐるぐると考えてしまい、高ぶった気持ちを『無かったもの』にしてしまうときが多々あります。
それは何処か『避妊』という行為に似ていて、萎えた心を直視したとき、まるで、心にコンドームを被せたような気持ちになるのです。
自分で散々 ヤっていてアレですが、それって勿体無い気がするわぁーー。
例え自信が無くても、思いつきだとしても、自分から生まれた気持ちだ。
そこに嘘は無いでしょう?
現実世界でのセックスに於ける避妊は、非常に非常に非常に大切ですが、自分の心が奮い立って絶頂を迎えそうになってるときに『理性』と言う名のコンドームを被せないようにしよう。
高ぶる心は、ナンボでも中出し(おっと失礼)していいじゃないの。
臆病者のわたしは、そう、常々自分に言い聞かせています。
自分に嘘吐きたくないから、心のコンドーム、断捨離しちゃおうかしら。
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