家族や恋人と同じように、友達にも、『愛している』と表現を使うべきだと思います。
わたしは、お世辞にも、器用に立ち回れるとは言い難いあなたが愛おしいのです。
わたしは、リーダー気質とか、姉御肌とか、そういう、人をグイグイ引っ張っていく性分ではありません。
よって、迷えるあなたに新たな在り方を導き出すことは出来ません。
でも、話を聞いたり、寂しい時はそばに居ることができます。
わたしの無精な性分故、頻繁に会うことはありませんが、あなたを思い出す頻度だけは、群を抜いていると自惚れて居ます。
最近、人って誰にでも不器用な面があるのなーと、この年になってようやく理解出来てきました。
なので、不器用な自分で良かったなあーと思います。
他の人に共感できるということは、貴重なことだなあと。
音楽で例えるなら、高音と低音の間をなめらかにつなぐ、中音域のような人間でありたいと思います。
大多数の音を一つの音としてまとめるためには、無くてはならない存在の中音。
人を惹きつけるような魅力があるわけでもないし、大黒柱の様な安心感があるわけでもない。
別に、どちらになりたい訳でもありません。妥協でもありません。
わたしの心が、そうなりたい、わたしはそうあるべきだと言っているのです。
愛情を持って人に接するのは、難しいけれど、大変喜ばしいことです。
なんちゅーか、こう、日々精進だと思うのです。
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