ひどいことをいってしまった、
たいせつにできなかった、
かわいがってあげられなかった、
過去を思い返し、いまのわたしならもっとちゃんと愛せるのになあ、と思った。
なんだ?
この気持ちは…後悔なのだろうか、と思ったのだが、どうやら違うみたい。
つぎの瞬間、
あー、わたしちゃんと過去を過去として冷静に見れているんだなあ、と感じた。
感情に負けたり、後ろめたくなったり、流されることなく、遠くを見据えられてるようなこの感じ。
わたしのこころは、他の人と比べて停滞しやすいようだ。
いつまでも昔を引きずり、ウジウジめそめそとしてしまいやすい。
そんなわたしだから、こころの内から何かが浄化してゆくのには、人よりも時間がかかってしまうのだと思う。
時間がかかることは、不利なように思える。
合理的にいかないように思える。
アトリエ・ポインセチアの家主が、「人生に於いての遅い早いは、所詮数値でしかない」と言ったはったことに、わたしも同感なのだった。
一般論を何でも、鵜呑みにするのはよくないみゃ。
人生ビビりながら生きてては楽しさだって、きっと三割くらいしか感じられないのだ。
いまのわたしがそうなのだ。
毎日、もわもわと、まるで頭の中に霧がかかっているようで…。
生きられる時間は有限で、何とかしなきゃと思えたときからカウントは始まるのかもしれない。
わたしも、早く何かに気づかなきゃいけないのかもしれない。
いまは、それが何かよくわからない。
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